/var/log/dmesg

30代文系出身SE(男)が日常生活のブログ。脳みそのバッファメモリを退避して、毎日やすらかに眠りたい。という思いで更新しています。

ネットの声

はじまり

「ネットでは批判的な意見があがっている」
「ネットでは好意的に受け止められている」
「・・・というのがネットの声だ」

ニュースサイトでよく目にしたり
TVの報道番組なんかで耳にする文言だ。
最近、特に多くなった気がする。

僕はこの「ネットの声」に違和感、不快感というか嫌悪感を感じる。

なぜなら

・ネットの声が権威ある確かなもの的に表現される。
・ネットの声自体が不愉快なものになりつつある。

からだ。
      

ネットの声が権威ある確かなもの的に表現される

情報発信者の言う「ネット」とは不明確なものなのにも関わらず
世間に受け入れらていることに危機感も覚える。

とりあえずネットっていっておけば大丈夫という感覚が
集団意識を形成しているのにどう影響しているのかという考察が必要なのかもしれない。

けれど、それよりも報道というフィルターを通して装飾された事実が、
この「ネットの声」という文言で得体のしれない権威的なものに保障され、
この情報の責任の所在がわかりずらくなっていることへ僕らは注意を払うべきなのだろうと思う。

ここでいう「ネットの声」は多くの場合、ソース元が明らかになっていない情報で
いうならば第三者機関の認証を経ておらず、自己認証しかしていない情報だからだ。

報道が多かれ少なかれ作為的になることはその性質上当然のことなのだが
その権威付けを「ネットの声」の一語で実装するのはおかしい。
発信する情報は発信者の挟持を持った恣意的なものか、
あるいは信頼できる第三者的機関のモノであって欲しい。
決して、よくわからん「ネットの声」で済ましてほしくない。

と思っている。
 
 

ネットの声自体が不愉快なものになりつつある

なぜならネットの特権ともいえる匿名性を捨て実名を晒す人が実に多いからだ。
匿名性という闇=悪で、実名=正義 の俺かっこいい的な自意識を
まざまざと見せられる度にげんなりしてしまう。

(ほんとうに本名かどうかなんて確認しようがないが)、
YouTubeのコメント欄や、他サイトでのFBプラグインのコメント入力欄で
「おもしろい!」の1行。

それ、いる?

いいじゃん、わざわざ実名でコメントしなくても。

僕はネット(不特定多数な場所)で「共有」とか「Share」とかを実名でしたくない。
今のところ、中身が伴わない実名発言って、
ただの「ネットナルシズム」だと評価することとする。  
 

むすび

まぁ、そんなこと誰も気にしちゃいないのだろうけど、
TVの偏向報道だけを槍玉にあげるのではなく、
インターネットのコンテンツも十分作為的になっていて
注意深く情報を収集しなくてはいけないってことを忘れないようにしたい。